にかにかブログ

にかにかが、経験したことを記録するエッセイです。

東京都のお金持ち家庭と友達だった中流家庭の幼稚園生の生活とは?!

はじめに

私は、2001 年生まれである。2004年から2007年に都内のお金持ちが集まる幼稚園に通っていた。その時の思い出を記しておきたい。

イースター

私の母親は工作が得意ではない。幼稚園の頃、イースターのイベントがあった。私の幼稚園はキリスト教の幼稚園だったので、キリスト教のイベントが行われていた。

毎年ではなかったが、その年、先生たちは、イースターのイベントのために、母親に子供に対するプレゼントを作らせた。先生たちは、親から子供へのプレゼントを通じて、キリスト教の文化を体験させたり、親子の絆を確かめたりさせる意図があったのだと思う。

 

子供は教室に集められ、庭に隠された自分あてのメッセージを探しに行くことになった。クラスメイトあてのメッセージは、鉄棒にぶら下がっていたり、ブランコにくくりつけてあったりした。私の母親のメッセージは、庭にあった小屋の裏の壁にセロテープで貼ってあった。

 

それを開けると中には、母親からのメッセージが入っていた。私はその中に何が書かれていたのか覚えていない。私が覚えているのは、自分の母親が作ったメッセージが他の人のメッセージに比べて、クオリティが低かったということだけである。

 

私の母親が制作したメッセージカードは、B5サイズくらいの横長の茶色の封筒に入っていた。メッセージカードは何やら固めの紙で作られており、紙やカラフルな木のチップなどで縁が飾り付けられていた。真ん中には丁寧な母親の文字でメッセージが書かれていた。そこまで覚えているのに内容は覚えていない。おそらく当たり障りのない内容だったのだろう。

 

私は自分の母親が、まず他の子と比べて捻った場所に隠していなかったことにもちょっと不満だった。壁に貼るならもうちょっと分かりづらい小屋の天井の裏側とかに貼ればいいのに、「分かりにくすぎても探すのが面倒くさいだろうからまあここでいいか」という意図が見え透いているような、分かりやすい場所に貼り付けていたのだ。自分のメッセージがどこに貼ってあるんだろう!とワクワクした期待を裏切られたような気持ちがして少しだけ残念な気持ちになった。

 

教室に戻って、他の人のメッセージを見渡してみると、自分より凝ったメッセージカードを作っている人もいた。私が記憶しているのは親友のメッセージカードだ。カードは小さいが2つおりになっていて、開くと非常に写実的な美しいケーキの絵が飛び出すのだ。メッセージの内容もちょっと感動するようなメッセージでその友達の親からその友達への愛を感じてしまい私の親から私への愛の強さと比べてしまった。

 

消化器の使い方

幼稚園では消防士の人が来て、消化器の使い方を説明してくれた。子供は力が足りないから、お尻でレバーを踏んづけると良いという話を聞いた時に、そんなことをしたらどこに噴射しているのか分からなくて全然火が消せないのではないかと思った。

 

イカ割り

近くの家で、スイカ割りをすることになった。私は、周りの声をよく聞いて、スイカを割れる完璧な場所にたどり着いた。そして、スイカに棒を叩きつけた。棒はスイカに当たって、2,3回バウンドした。そう、割れなかったのだ。ヒビが入るということもなかった。その後私よりも2歳年下誰かの妹がやった時にはスイカにヒビが入った。2歳上の私よりも力があるという事実はみんなを沸き立たせた。私はその子が輝くための引き立て役にしかなれなかったという事実に悔しくて泣いた。泣かなかったかもしれないが、かなり悔しかった。

 

K.けい

けい君という2歳上のお兄ちゃんがいた。とてもかっこよかった。お母さんはとても美人だった。家は、小洒落たアパートの2回にあった気がする。私の兄はよくけい君に追いかけられていたから、足が速くなったんだみたいなことを言っていた気がする。けい君とお兄ちゃんたちはポケモンカードで遊んでいた。私はそれを近くで見ていた。他にもお兄ちゃんの友達の妹がいて、妹分は妹分でピアノを弾いたりお兄ちゃんたちのポケモンカードの対戦の様子を観察していたりした。けい君はサッカーの教室に通っていて、体も大きめで、爽やかな顔つきをしていた。自分が爽やかな顔つきが好みになったきっかけかもしれない。



選ばれた人

私は、ページェントの最後の歌を歌う人に選ばれた。なぜ選ばれたのか分からない。しかし、選ばれた人を見てみると、一人で歌うことに耐えうる精神や、自分の出番を忘れないようなしっかりした精神を持ち合わせた人だった気がする。もしかしたら4月生まれというだけで選ばれたような気がする。幼稚園生の1歳の差は非常に大きいからである。それでもかなり嬉しかった。3人だけが、選ばれて、特別なレッスンをしたりした。みんなで遊んでいる時に先生に呼ばれて電子ピアノの前で練習した。堂々と緊張せずに歌った気がする。どうだ選ばれた私の歌を聞け、と言わんばかりに。

 

とーま

その3人の中にとーまもいた気がする。とーまは私のお気に入りの人だった。今でももっとも友達でいたいなと思うような人だ。彼は、1歳上のお兄さんがいた。てっぺーという。2人とも名前がかっこいいなと思っていた。それもかなりかっこいいなと思って、いつも彼らの名札を眺めていた。とーまは、今でも会えたら会いたいと思うくらいには気に入っていた。精神年齢が高くて、物事を達観してみている感じがしたからだ。

 

とうま

もう一人、とうまという人もいた。2人でとうまという名前をしていた。2人はよく一緒に遊んでいた。とうまのお母さんは図書館で働いていたが、とうまと顔が本当によく似ているから、毎回見かけるたびに、すごく似ているな、と思いながら図書館を利用させていただいている。

 

とうまも精神年齢が高かった。(とーまもとうまも4月とかに生まれたから、他の子よりも精神年齢が高く見えただけかもしれない。幼稚園生の1年なんてすごい差だから。)

体育の時間に室内サッカーをしていた時に、他の全員みたいにボールに一目散に群がりに行くのではなく、1人、ボールが出てきた時にシュートできる位置にいた。体育の先生もすごく褒めていたし、私もとても感心した。

 

こーしろー

こーしろーくんは大きな家に住んでいる。お父さんにはちょびひげがある。お母さんもお父さんも厳しそうな雰囲気を漂わせていて、こーしろーくんもあまり笑わないが頭の切れる少年であった。

 

Rくん

Rくんは、とてもお淑やかなであまり喋らない性格だった。Rくんは腕に大きなほくろがあって、白い肌によく映えて美しいチャームポイントだった。非常におとなしくて、可愛い。お姉ちゃんも可愛い人だった。お姉ちゃんはすぴかという。今でも覚えているくらい美しい名前だ。星の名前の幼稚園によく似合う名前だった。

 

幼稚園の自由研究

自由研究みたいなことがあった。自由研究は、親の作品展示会みたいだった。親が作ったんだろうなと思うような作品がたくさん並ぶのだ。特にごごかったのは迷路である。ボール紙で作られたお大きい迷路は、ビー玉を転がして遊ぶ。ビー玉がどこにあるか分からないから、ゴールまでいろんな方向に迷路を傾けるのだ。無事にビー玉が出て来るか分からない不安を抱えながらビー玉が出てくると、より感動するのだ。だから非常に面白い作品だった。それに、展示するだけななくて、実際におもちゃとしても遊べるという点で魅力的だった。

 

マグカップ

卒園記念にマグカップを作ることになったのだという。私の母は、みんなもっと綺麗な字を書いているとかなんとか言って、何回も私に書き直しをさせた。でも出来上がったマグカップを見たら、大体みんなきったない時をしていた。そりゃそうだ。だって、みんな幼稚園生なのだ。習字を習っていると言ってた子でも汚かった。そりゃそうだ。みんなサインペンで描かなければいけなかったのだから。

 

母親が世間体を気にして、子供に理不尽を強いていたとてもいい例だと思う。

 

No, Thank you.

私は、年上を泣かせた。公園で、遊具に乗って遊んでいた。その子がすごい勢いで漕ぐので、私は嫌になってしまった。私が先に泣いたのかもしれないし、ものすごく嫌な顔をしたのかもしれないし、その子に向かって何か行ったのかもしれない。

その子は、泣き出してお母さんのところに行ってしまった。私は平気な顔をしてそれを眺めていた。すると自分の両親が私の元に来て、どうしたのかと事情聴取した。なんで泣かせたのか、とか聞いたのだと思う。でも私は、知らない、といった。その時は本当になぜその子が泣いているのか理解できなかったからだ。その子が私に親切心でやったことは私にとって全然嬉しくなかったから、私は素直に嬉しくないということをその子に伝えたまでだ。今になって思うが、そういう時は、Noだけではなく、Thank youも付け加えないといけないのだということを学んだ。

 

ピアノ

幼稚園で、お化け屋敷をすることになった。なぜか分からないけど、そうなのだ。そして、ピアノを弾いている女の子がいた。私は思った。彼女は、意味のわからないお化けの役をせずに、ピアノの演奏という特権を与えられているのだと。ピアノができる人が羨ましいと思った。私もああなりたいと思った。悔しいと思った。

 

私は一貫して悔しがりなのだ。

 

誕生日パーティー

お友達はよく誕生日パーティーをしていた。友達の母親は非常に面白い人で、ニョッキを手作りしたり、プレゼントが隠してある場所の探し当てゲームをしたりした。多くの人が遊びに来て、5家族分くらいが招待されて、みんなで遊んだ。

子供は子供だけで遊ぶし、大人は大人でテーブルに集まって何やら話し込んでいた。今になって思うが、多分話すのも話すので非常に大変なんだろうと思う。その大人の中にお兄ちゃんの友達のお母さんがいた。

 

星に願いを、を友達と私の2人に歌ってくれた。オペラみたいな歌い方だった。あたりは暗く、照明はオレンジの照明が3つほどついているだけで、まるで舞台のスポットライトのようだった。オペラの舞台になったそのリビングは本当に美しくて、私はそのお母さんの虜になった。今でも、将来、よその子供に美しい歌声で星に願いを、を歌えるようなお母さんになりたいと思った。

 

そのお母さんは黒い瞳に黒い癖毛気味の神をしていて、いつも明るくて、大胆に笑って、子供も大人も和ませてくれる人だった。中東とのハーフなのかと思うようなくっきりした二重と、丸みを帯びた鷲鼻は、魅力的な雰囲気を醸し出していて、私の憧れだった。



とっくん

とっくんは、少し発達障害のある子供だったみたいだ。でもそれは後になってわかってことで、私にとってはゲーム好きのとても人懐っこい可愛い同期だった。お母さんは美人だ。インドに赴任していたこともある。ペットも一緒にインドに連れて行っていたのが印象的だ。犬専用の場所があって、子供たちがとっくんの家に遊びにった時は、犬と一緒にそこに潜り込んで遊んでいた。

 

とっくんの家は大きくて、一人っ子なのに、女の子が好きそうな缶バッジを作るおもちゃや、女の子向けのパソコンのゲームもあった。もしかしたら、女の子男の子関係なくいろんなおもちゃを使わせてあげるという方針だったのかもしれない。IKEAに売っているチョークと黒板があって、トランポリンもあった。天井は、星の絵が書いてあって、電気を消すとそれが、ぼんやりと浮き上がる夢のような場所だった。

 

私はどの部屋で遊んでいた時に鼻血を出したことがある。

 

Wiiで遊んでいた。とっくんの誕生日会は、本当にいつも楽しかった。私自身はあまり誕生日会を開いた感じがしないし開いたとしても小さなマンションに何人かを呼んでできあいのケーキを食べただけだ。

 

 

まとめ

最近、東京のマンションの値段は平均で1億円を超しているというニュースを見た。平均が億ションというのはNHKのニュースセブンでもやっていたほどだ。もう、あの頃みたいな遊び方はできないのかもしれない。あれは本当に幸せだった。自分の人生そんな素敵な記憶があるというがうれしいい一方で、それらの記憶は、すべてそのお金持ちの友達がいたからだという現実を知らされる。それも親がやりとりをしていたからであって、私の力ではない。自分の力でそういう誕生日パーティーができるようにお金を稼がないといけないなと思うのであった。